ホーム

2026年度教会主題

日本基督教団 埼玉新生教会
338-0001
埼玉県さいたま市中央区上落合 7-9-11
☎ 048-852-1379
Email: saitamasinnseikyoukai@gmail.com

主任担任牧師 平澤ひらさわ のぼる

第一礼拝 午前10時30-11時40分
第二PF礼拝 午後1時30分-2時30分

毎月第一日曜日・三大節(イースター・ペンテコステ・クリスマス)・その他特別な行事がある日曜日はシャローム礼拝となります。

当教会では、聖書協会共同訳聖書・讃美歌21を使用します。
ご用意のない方には、貸出しのご用意があります。


牧師紹介

平澤 昇 牧師(1954年生まれ)

栃木県小山市に生まれ、日本聖書神学校卒業
31歳から牧師となり、小石川白山教会、松崎教会、韮崎教会、盛岡松園教会で牧会しました。保育園、幼稚園、認定こども園と関わり、盛岡では園長を9年勤め、2022年4月より、埼玉新生教会牧師、しんせい幼稚園で園長をしています。
笑顔で、神と人とに仕えます。

牧師より

  • 2026年9月

    埼玉新生教会 平澤 昇牧師

    最近のニュースは、大雨、台風、地震による災害が多く、毎日のように報道されています。
    また、ウクライナとロシアの戦争、アメリカとイランの戦争も終わりが見えなくなってきています。
    さらに、ネパールで氷河の地滑りがあり、大きな被害が出ています。
    近年の異常気象は日本だけでなく、ヨーロッパやアメリカでも沢山の人が亡くなっています。
    異常気象は、地球温暖化が原因と言われながら、自分の身に起こらないと分からないのでしょうか。

    さて、毎年8月になると、平和について考えてきました。
    8月6日広島への原子爆弾投下、8月9日長崎への原子爆弾投下、8月15日無条件降伏からの「敗戦記念日」を覚えてきました。終戦記念日という表現もしますが、それでは過去の出来事を「自分事」とし受け止めることではなく、反省ができないのではないでしょうか。過去の出来事を顧みて、「今」を見つめるとき、これからの歩みに繋がる「今」を歩むことができると思います。ニュースを「自分事」として捉えることができないと、すべてが「他人事」になってしまいます。

    以前のニュース報道では、大きな事故が起こると「被害者の中には、日本人はいません」との報道をしていました。しかし「被害者の痛みを考えていない」との批判から、報道の在り方が変わりました。その現場には、「苦しんでいる人がいる」との想像力が働いていないのです。「泣いているひとがいる」との思いが欠けているのです。
    私たちはどうでしょうか。
    戦争の映像を見ても「映画の一場面」ように感じ、ドローン攻撃は「ゲーム感覚」になっていないでしょうか。そこには、痛みも悲しみもありません。ましてや「過去の戦争」です。反省ができるでしょうか。
    そして、多くの命を奪った戦争は「美化」され、新たな戦争のできる国へと変わっていかないでしょうか。

    ルカによる福音書 15章1節~7節
    今月の聖書は、『見失った羊』のたとえの話です。15:4「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を荒れ野に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し歩かないだろうか。」とイエス様が語りだします。
    すると多くの人が、「九十九匹はどうでも良いのか」と反論しますが、その思いの背後にある価値観は、多数主義となって少数者(小さいもの)が無視され、社会の効率や製品の歩留まりが関心事となって、一匹の羊はロスと考えてしまうからです。たとえ1%の一匹の羊にも命があります。
    また、「見失った羊」は「迷子の羊」で、我がままで、悪い羊と思い、九十九匹を残してまで探す価値はないと思い込んでいないでしょうか。
    「見失った羊」のたとえの次には、「無くした銀貨」のたとえが記され、十枚の銀貨はどれも同じ価値であることから、羊も神さまの目からは皆同じであることが語られています。ですから『見失った羊を見つけましたから、一緒に喜んでください』(15:6)と語っているのです。私たちは皆、神さまの目には等しく尊い存在です。

    一緒に喜んでください
    すべての人が、すべての生き物が、そしてすべてのものは「神さまの作品」です。それを、人間の欲望によって傷つけていないでしょうか。
    神さまは、創造された世界をご覧になって「それは極めて良かった。」(創世記1:31)と語っています。その神さまの創造された「いのち」を、私たちは奪って良いのでしょうか。
    戦争は、世界を創造された神さまを否定し、他者を否定し、自己をも否定するものです。
    神さまに愛された者として、戦い奪い合う者ではなく、神さまから「一緒に喜んでください」と招かれた者として、共に歩みましょう。

過去の牧師からのメッセージ

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました