2026年2月の言葉

「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めです。」

(ヨハネによる福音書15章12節)

 2026年も一ヶ月が過ぎ、暦の上では春になりますが、日本海側での大雪、太平洋側の小雨による乾燥と山火事の多発という異常な気候が続いています。そして、2月8日は衆議院選挙でした。大変な年に成りました。
 さて、今月の聖書の言葉は、キリスト教保育誌2月号の「今月の聖句」から選びました。幼稚園では、2月になると年長児は卒園の準備が始まり、年中少児も進級に向けての歩みを進めます。そんな時に選ばれている聖句は、何を私たちに語っているでしょうか。

 ヨハネによる福音書15章には「イエスはまことのぶどうの木」について語られ、「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。」(15:5)とあります。
 イエスさまに「つながって」いる時に、私たちは豊かに実を結ぶことができ、離れては何もできないと語られていますが、「つながって」いる事とはどう言う事でしょうか。「枝」である私たちが、「ぶどうの木」であるイエスさまに自分の力で繋がる事でしょうか。それでは、自分には繋がる力も資格も無いと思って落ち込んでしまった時には、ぶどうの木に繋がっている事ができなくなり、実を結べず、投げ捨てられて火に投げ入れられます。
 しかし、イエスさまに私たちが繋がる事は、「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ。」(15:16)からであり、そこにイエス様の愛が私たちに示されています。
 ぶどうの木のたとえは、枝である私たちがイエスさまに繋げられ、イエスさまの言葉が私たちの内にとどまることです。大切なのはイエスさまに繋がり、とどまることです。そして、イエスさまによって、私たちも互いに繋がることです。
 しかし、イエスさま以外に繋がり、イエスさま以外にとどまることがあります。それは、私たちに「誘惑」が働き、私たちを自己中心とし、イエスさまから引き離す力が働くからです。

 私は毎日、朝と帰りに園児と「タッチ」をしています。しかし、一人の園児がタッチをしようとしたら手を引っ込めたことがありました。「どうしたの」と聞くと、「ビリ」となるからと言うのです。静電気です。静電気は、接地しないと放電し「ビリ」となります。これと同じように、私たちも自己中心でいると、静電気をいっぱいため込むこととなり、神さまとの関係や人間関係を壊してしまい、「ビリ」と放電を起こしてしまいます。
「ビリ」を避けるためには、接地をすることです。接地することは、イエスさまに「つながる」ことです。そして、「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という歩みによって、互いに豊かな実を結びましょう。

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