埼玉新生教会 平澤 昇牧師
7月になって、天気は梅雨から夏本番へと移り変わり、毎日30度以上の暑い日が続く予報です。今年も異常気象でしょうか。熱中症に注意が必要になります。
異常気象は日本だけでなく、偏西風の蛇行によりヨーロッパやアメリカでも異常気象となり、沢山の人が亡くなっています。異常気象は、地球温暖化が原因と言われながら、否定する大統領もいて地球が苦しんでいます。
また、国連が提唱する「SDGs」持続可能な世界を目指すために、世界が協力する必要を求められていますが、国と国、民族と民族、宗教と宗教が、そして私たちの小さな集団の中でも、一人ひとりの「心の中」でも、争いが起こっています。
逆に見ると、一人ひとりの心の乱れから欲望が生まれ、自己中心の「罪」から世界の闘いへと繋がっているように思います。どんなに小さな火も、大きな火となり消すことができない火になります。
私たちは「何を考え」「何を思い」「何を行っている」のか、自分が分からなくなっています。自分の思いと行動を制御することができなくなります。「やられたらやり返す」子どもになっています。
「自分を知り他者を知る」「私の本質」「私たち共同体の繋がり」を知ることが大切です。
そこで、「わたしとわたし」(さく:五味太郎、福音館)と言う絵本がありますので紹介します。2018年1月号「かがくのとも」版から、2025年12月に「かがくのとも絵本」として発行されました。絵本を開くと、左右のページに「本音と建て前」のような心の声が描かれています。

「あさだ! おはよう! さっとおきて さっときがえよう! とおもう わたし
「いやいや このまま もうすこし ねていたい とおもう もうひとりの わたし」

「いただきまーす! あさごはんは いつもおいしいね と おもう わたし」
「でも ほんとうは おかし たべたいんだよね・・・ なんておもっている もうひとりの わたし」

「ゴミ だしてきてね」「はーい」「おてつだいはたいせつだよ とおもう わたし」
「でも ちょっと めんどうくさいね と おもう もうひとりの わたし」

「こうえんで あそぼうよ」「うん いいね と こたえる わたし」
「ほんとうは としょかんに いきたかったんだ こうえんなんか つまらないし でも ま いいか なんて おもう もうひとりの わたし」

「わあ-っ こうえんは けっこう たのしいね! なんて おもう わたし」「あれっ?きもちがころっと かわったね」
「みんなは どうなのかね? と ふっとかんがえる もうひとりの わたし」
「もしかすると・・・」

「わたし」は、自分の心の中にある「もうひとりのわたし」の、ちがった思いに気付くと同時に、「友だち」も「わたし」も同じであることや、「わたし」も変わることに気が付いたのです。
私たちは、いつも身の周りに気遣って、自分自身について考えたり、真実に思いが向いていても、それをはっきり受け止めることはできません。
私たちの中には、「うたぐり深い」私や、反対に「すなおな」私がいますが、人を気にしてしまうのです。
ローマの信徒への手紙7章7節以下に、「内在する罪の問題」という小見出しがあります。そこには、律法と罪について語られています。何が正しくて正しくないかを律法によって示されていますが、しかし、私たちは欲深い者で「私は、自分のしていることが分かりません。自分の望むことは行わず、かえって憎んでいることをしているからです。」(7:15)、「それを行っているのは、もはや自分ではなく、私の中に住んでいる罪なのです。」(7:17)、「私はなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰が私を救ってくれるでしょうか。」(7:24)、そんな私たちのために、「キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っている霊によって、あなたがたの死ぬべき体をも生かしてくださるでしょう。」(8:11)と、救いが与えられています。信仰生活の中で不安に襲われることがあります。まっすぐにイエスさまを見ている時は大丈夫ですが、イエスさまを見失いトンネルに入ることもあります。しかし、大丈夫です。イエス様の愛は、私たちを捕らえて離すことがなく、希望へと導いてくださいます。

